沖縄出身だけど最近の暑さは流石にヤバいと思う南国さんですこんにちは。
もう毎日エアコン全開で引きこもってます、在宅ワーク最高ですわ。
今日はそのうち書こうかな~と思っていた記事をダラダラと思いつくまま書きなぐってみようと思います。
働き始めて体壊して休養してた時期があるんですよね、その辺の流れでもつらつらと。
長いので気が向いた時にまったり読んでいただければと。
時系列で項目作った方が整理しやすいかなーと思ったのでお題はこちら。
・初めてのお仕事編
・体ぶっ壊れ編
・転職編
・転職その2編
・休養編
・再起編
・体プチぶっ壊れ編
・フリーランス編
・まとめ編
そこそこの内容になるかも知れないしならないかも知れない、とりあえずまったり書きます。
初めてのお仕事編
高校までは沖縄で過ごし、専門学校で愛知県へ、卒業して1年就職浪人、その後も職が決まらなかったため勢いだけで上京して着信アニメのバイトを始めました。
初仕事が素材からアニメーションまでフルで担当するクリエイティブなものでかなりウキウキしたのを覚えています、実際楽しかった。
会社も一大プロジェクトとしてかなり大規模に制作を行っていました、クリエーターさん最大で50人くらい居たんじゃないかな?
クリエーターの中からまとめ役として自分含め数人が選ばれ、契約社員でやっていくことになりました。
制作に加えチェックや管理などの業務も増えメッチャ忙しくなりました、アパートが会社から10分くらいの所だったのも手伝って午前様が当たり前レベルの状態に。
それでも楽しかったしやりがいも感じていたので全然頑張れていました、が今考えれば普通じゃないので体壊すのも時間の問題だったのかなと。
体ぶっ壊れ編
そんなこんなで残業続きでも頑張っていたんですが、着信アニメのコンテンツが大コケしたために会社側はクリエーターさんを一気に切る方針を打ち出しました。
まぁ赤字のコンテンツを続けるわけには行かないので当たり前っちゃ当たり前なんですが、やり方がまずかった、事前の告知などもなくいきなりやり出したためかなり荒れました。
クオリティが足りないクリエーターさんのリストアップ、電話or直接の通達などもやりました、ものすごく心苦しかったです。
生まれて初めて味わうレベルのショッキングな出来事でしかも当事者だったため想像以上にダメージ受けたんだと思います。
ある日残業中クリエーターさんのチェックをしていた所、ふっと体に力が入らなくなってしばらくその場に座り込んでしまうということが起きました、多分これが始まりです。
その後原因不明のだるさや食欲不振、微熱がずっと続くなどの体の不調が現れます。
血液から脳まであらゆる検査を行っても異常なしとの判定、「疲れてるんでしょう」と言われるだけでした。
弁当買って会社に行ったものの、自分が自分でなくなるようなふわっとした感覚、息苦しさ、動悸などあまりの体調の悪さに近所の病院に駆け込んだこともありました。
血液検査と点滴みたいな流れでしたが結局異常なし、ぶっ倒れてるのに異常なし、何何だこれはと。
困り果てていた時に親から「一度心療内科で診てもらってはどうか?」と言われ藁にもすがる思いで行くことに。
カウンセリングや心理テスト?みたいなものを行った結果「体はボロボロなのにやる気や頑張ろうという項目が異常に高く体と心のバランスが崩れている」と言われました。
その場では病名などは言われずお薬だけ処方されました。
いわゆる鬱病の始まりだったんですが自分は自律神経の乱れとだけ思っていて、もらった薬も数日飲んで食欲が戻ったからすぐ止めたりなどアホなことしてました。
回復と揺り戻しを繰り返し改めて病院で「これ何なんですか?」と聞いてみたところ「鬱病ですね」と言われました。
自分の中では少し休めば元通りになるくらいの認識だったんですが大甘でしたね。
鬱は人によって様々な症状が現れます、自分の場合は食欲不振、倦怠感、睡眠障害、意欲の低下などが主でした。
自分身長が170cmなんですが体重が58kgくらいから減りに減って50kg切りそうになったのも衝撃ですね。
ちょうどその頃に免許更新があったので当時の免許残ってるんですがホントヤバイです、ゾンビです。
とはいえ薬のおかげで食欲も若干戻り、何とか仕事は続けられるレベルの状態は保つことが出来ました。
今思えばその時にしっかり療養していれば長引くこともなかったのかも知れないですが、当時の自分は仕事を続けることを選びました。
転職編
前述のアニメ事業が縮小した後も新たに始めたFlashコンテンツ等を含め一部のクリエーターで業務は続いていました。
ですがその業務も次第に縮小、流石に続けられないなということで見切りをつけて転職することに。
タイミングよく割とすぐ経験を活かせる求人に出会いました、そして転職することに成功、幸運だったなと思います。
新しい職場で不慣れなことも多いだろう、大変なことも多いだろう、と不安もありました。
ですが今思い出してもそこはホワイトとしか言いようのない会社で、いい人たちばかりの環境でした。
2年半勤めたんですが残業は数える程度しかやったことがなかったです、基本定時に帰ってました。
システム開発部の中にデザインチームがあってそこに属していたんですが、みんな効率よく仕事をする人ばかりで勉強にもなるし、みんなでランチに行ったりなど雰囲気もよく意欲が半分死んだ状態だった自分でも楽しく過ごせてたと思います。
とはいえ肝心の体の状態は平行線、食欲は昼は食べられたんですが夜はほとんど腹が減らず「食べないとまずいかな?」程度の意識でおにぎり1個とかサンドイッチだけとかそんな感じでした。お腹がぐぅと減る感覚は全く無かったです。
そして睡眠障害がこの頃一番ひどかったかと思います。
12時前に寝てもほぼ確実に夜中の2~3時に目が覚めます、そしてその後はほとんど眠れず半覚醒のまま朝になる感じです。
薬の副作用も加わって業務中にやたら眠くなることも多く、そこもかなり大変でした。
休日昼寝をしたりすると夜は全く眠れないなどもしばしば。
今思い出すと何か薄いグレーのフィルタが世界にかかっている感じでしたね。
鈍いんです、あらゆる感覚が。
仕事は続けていられましたがおそらく他の会社だったら持たなかったんだろうなと。
ですが2年を過ぎたあたりで、今までの経験だけの仕事ではなく新しい業務を覚える必要が出てきました。
意欲が極端に低下していた当時の自分にはこれが想像以上にハードルが高く、「経験を活かせる業務を続けたい」という思いのみで更に転職をすることを決意します。
ここが完全に失敗だったんでしょうが結果的にこれが休養に繋がります。
転職その2編
その後自分の経験を活かせそう?な会社を見つけ転職することに成功しました。
これでまたグイグイやっていける、と思っていたんですよね、でも現実は違いました。
前職でのあまりの環境の良さに慣れていたのと、もうこの時点で大分心が弱りきっていた自分には新しい環境に馴染める力は残っていませんでした。
能力が活かせるとはいえ新しく覚えないといけないツールや仕組み、新しい人間関係、その他諸々に耐えきれなくなりわずか1~2週間ほどで辞めることになります。
辞める前日、初めてズル休み?会社に行きたくなく体調が悪いということで休みました。
そしてその日のうちにもう何もかも嫌になって実家に連絡して「沖縄に帰る、帰って療養する」と伝えました。
そして上司に電話し、翌日会社にて面談、詳細を伝えて退職しました。
このあたりの記憶は割とあやふやな部分も多いです、霞んだ感じ。
休養編
アパートその他諸々の手続きを済ませ沖縄に帰省、とりあえず何も考えず休むことにしました。
両親は理解を示していてくれていたのでひたすらのんびりしました。
やりたいことだけやってみることにしました、マンガ買い漁ったり、釣りに行ったり。
失業保険がそこそこ入ってきたのと貯金していた分で金銭面では問題なかったです。
のんびりしつつも体を動かす習慣があったのでこれはいい方向に働いたのかも知れません。
夕方に父と一緒に犬の散歩へ行ったり、体育館行って汗を流したり筋トレしたりなどなど。
動くことは問題なかったのですが、食欲不振や睡眠障害はまだまだ全然回復せず、医者の指示を受けながら薬を減らそうとしてもやっぱりダメでした。
薬を減らそうとして揺り戻しが起こるのは本当にキツイです、薬飲んで平穏ならそれでいいと今でこそ思えるんですが当時はやっぱり薬が嫌でしょうがなかった。
良くなっているような、また戻っているような、そんな状態を繰り返しつつ。
そんなこんなでひたすらのんびりすること約1年、気持ちに若干の変化が生まれました。
休みたくて仕方ない状態で帰ってきたはずですが今度は何かをやりたいと思う気持ちが大きくなっていました。
沖縄では自分がやりたい分野の仕事が少なかったため自ずとまた東京に戻りたい、そう思い始めていました。
まだ通院もしているし完全に治ったわけではないため両親は反対していたのですが、ダメだったら帰ってくると約束して再び東京に行くことに。
今考えるとここがかなりリスキーな感じがしますが結果的にはこの決断がいい方向に動きます。
世の中の人に同じことをやれとかそういうつもりは全くありません、あくまで自分の場合はこうだったという話なのであしからず。
再起編
所用で東京に行く機会が何度かあったためその時に物件探しもしておきました。
その時に無職に貸せる物件はかなり限られていることを知ってショックでした、考えれば当たり前ですよね、滞納されそうだし・・・。
最初はたくさんあった候補がぐっと減り、その中から安くていい感じの物件に決めました。
そして資金がまだ半年暮らせる分くらい残っていたので、仕事決まっていない状態なのに再び東京に舞い戻りました。
アパートはほとんど家具もない状態だったので着いた日に近所の西友を往復してカーテンだの何だの色々買い揃えていきました。
沖縄から移動してきてその日の内にまた色々買い物して取り付けて、超ドタバタしつつまぁとりあえず暮らせるレベルに整えることは出来たかなと。
そこでいつものように大して腹減ってないけどご飯でも~と思った所、数年ぶり?という位の感覚が。
「お腹すいた」
自分でもかなり衝撃でした、胃が動いている感覚があります、確実に腹減った!と。
駅近くのラーメン屋に入って何気なく食べたラーメンでまた驚きが。
「味を感じる」
今まで味を感じなかった訳ではないですが、ずっと感じていたグレーのフィルタがなくクリアに味を感じました。
数年ぶりに自分の感覚で食事をした、という感じでした、本当に鮮明に覚えています。
その日以降は食欲が戻ってきて明らかに体にエネルギーが湧いてくる感じがしました。
何がきっかけなのかは定かではないですが、1年しっかり休んだこと、自分の意志で戻りたいと思ったこと、このあたりが精神的に良い影響を与えたのではないかと思っています。
スイッチが切り替わった、そんな感覚でした。
体プチぶっ壊れ編
その後就職した会社でいきなり超ハードワークやったり、その時に東日本大震災があったりと精神的にキツかったですがその時はまだ大丈夫でした。
そこから更に転職、ものすごい急成長する会社でここでも超ハードワークしつつも昇進、昇給など色々と順調でした。
ちょうどその頃完全に薬をやめても大丈夫では?と医師の指導の元、一旦薬を飲まなくなりました。
とまぁ色々いい感じに思えたところなんですが・・・
そこで会社の体制が結構大きく変わる出来事があり、その時ちょっと仕事に行き詰まった感じもあって諸々精神的にキツかったのかここでプチぶっ壊れ発動です。
左腕がしびれて力が入らなくなります、お茶碗持っても震えるレベルになりました。
右腕も若干違和感、腰痛と足のしびれも同時に出てきました、食欲もガクンと落ちて、満身創痍。
以前のようにあらゆる病院であらゆる検査したんですが特に異常は見つからず。
精神的にもかなり滅入っていたので休職することに。
体中ボロボロだったので毎日整体に行ってほぐしてもらいつつ休んでました。
中断していた薬も元に戻ることに、精神状態が悪かったのでしょうがないですけどね。
心気症の兆候が強く、いくら病院に行って異常なしと言われても不安で仕方がなかったです。
数日置きにいろいろな病院に行ってみるということを繰り返してました、雨の日に隣の県の奥地の病院まで行ったことも。
「どんなに病院回っても君の望む答えは出てこないよ」と言われたのが衝撃でした。
自分でも薄々わかってるんですが「こんなに調子悪いんだから何かしら悪い病気にかかっているに違いない」という思いが支配していたんですよね。
それ以降は整体行ってじっと休むことに専念しました、ここまででわずか2週間位の出来事です。
その後は徐々にしびれも消え食欲も戻り、結果的に1ヶ月位で割と元の状態に戻ることが出来ました。
フリーランス編
復活後は色々とプロジェクトをこなしつつ忙しい日もありましたが安定してました。
会社の体制が変わり、いい意味でも悪い意味でもベンチャー感がなくなりホワイト化されていきました。
その後作り手側からプロジェクト推進室みたいなところに移り全体のクオリティ管理などを任されるようになったのですが、自ら新しいものを生み出す作業はかなり減ることに。
ここまで安定してくると「自分が居なくても特に問題ないよな」と思うようになります。
加えてある程度のランクに居たため昇給も中々なく「自分で稼いだほうが早そう」という結論に達します。
もともと知り合いから声がかかっていたこともありフリーランスでやっていくことになります。
フリーになったのが9月頃、実はその年の年始に結婚してたんですがまさかの結婚して数ヶ月で退職、フリー、ヤバい人ですね!
「半年やって結果でないなら会社員に戻る」と約束してフリーになりました。
結果から言えば順調で、ありがたいことに会社員の時よりもグンと稼げています。
無理しない範囲で働く、私生活充実させてなんぼ、ということも意識していて現在は週4.5日くらいの稼働日になっていて2週に1回3連休です。
基本リモートワークなので家で仕事してて週1で手伝っている会社に出向とかそんな流れです。
週4日稼働の時期もあったのでそのうちまた戻そうかなーとかも思っています。
最終的には週2~3日稼働であとは自分の作品作りの時間に当てたいと目論んでいますウシシ。
まとめ編
思い出しては書いて~、とまとまりのない内容ですが自分が社会人になってからの流れは以上になります。
こうすれば鬱は治るよ~とか安易に勧める話でも何でもないです、備忘録に近いものかと。
未だにほんの少量ですが薬は続けています、とはいえ日常生活に支障がない状態であれば寛解と言うらしいですね。
今度こそ完全にやめられるのかも知れないですがまぁ焦ることもないので薬に関してはのんびりやろうと思います。
色んな事ありましたが折れずにまだやっていけてるのはありがたいことだなーと。
今後はもう無理はせず出来る範囲内で最大限の結果を出すという考えにシフトして行こうと思います。
量より質です、自分の価値を高めれば自ずと結果はついてくるものかと。
美味しいもの食べたり旅行に行ったりするのが趣味なのでそのために効率よく稼いで行こうと思います。
人生なんくるないさー!